ナディア・ムラド(東洋館出版社)
これは、イスラム国に囚われ、生還してからも闘い続ける女性の物語。
この本を初めて手に取ったとき、一度は元の場所に戻してしまった。イスラム国による虐殺や性暴力の凄惨さを少しは知っていたので、それをより詳細に知ることで、自分の心やきっと魂のどこかも傷つくと思ったからだ。
でも、今は戦下ではない(戦前かもしれないが)平和な日本で、同じ女性としてそれを知らないことの方が罪のように感じ、というよりこの女性からしたら加害者と同じ側にいることになるのではないかと想像し、少しずつ読み進めることにした。
世の中には知らない方がいいことがあるかもしれない。でも、例えば内閣サイバーセキュリティセンターが言うように「SNSやネットを恐怖と悪名の拡散の場にせず、楽しいこと、幸せなこと、ほっこりすることで満た」すことが、より平和な世界につながるんだろうか?
力を持つ者にとっての不都合な真実がそこから漏れることで、声を発することさえできない弱者や少数派の存在を、私たち自身でないことにしていないだろうか?
そして、ひとつの不都合な真実を知ってしまった私は、今度はそれを受けてどう行動するかが試されている。
著者は、「戦争および紛争下において、武器としての性暴力を根絶するために尽力した」ことにより2018年ノーベル平和賞を受賞した。
だが、モテージャの母のように、なぜ女たちもがあのジハーディストたちと一緒になって女性の奴隷化を大っぴらに祝うことができるのかは、私には理解できなかった。イラクに住む女性が手に入れてきたのには、宗教に関係なく、どの人も苦しい戦いを経ないものはなかった。議会における議席も、生殖に関する権利も、大学における地位も。これらはみな、長きにわたる戦いの結果として女性たちが手にしてきたものだ。男たちは権力の座にいて不満はないのだから、自分たちの力は、強い女性たちがみずから奪い取るしかなかったのだ。姉のアドキーがトラクターを運転すると言ってきかなかったことさえ、平等へのジェスチャーであり、男たちへの挑戦だったのだ。
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